“画力”とは何か? お絵描き歴10年目にして思う画力の定義について

こんにちは、相変わらずお仕事に追われている社畜系金髪碧眼美少女エルフ(自称)の子猫2000です。最近はLive2DでVtuberモデル用キャラクター作成などしていました。髪フェチ力を活かして、髪のサラサラ感を頑張ってみたので、よければ覗いてみてください。

今年のGW連休時に朝型生活にリセットしたのですが、いまのところ継続できています。今までの経験則から、私が朝型エルフということは明白なので、このまま朝型生活を続けていきたいところです。しかし、最近はお仕事が忙しく、朝活でしかお絵描き出来ていません! もっと絵を描かせろ!! ふんがーーー!!

さて、今年の4月から私も何だかんだでお絵描き歴10年目です。

10年目ということは、経過したのはまだ9年と2か月ほどなわけですが、細かいことは気にしたら負けです。というわけで、絵に関する色々を考えてみようのコーナーです。(ワー、パチパチー

記念すべき第一回(続くか分からないけど)は「画力」の定義について考えてみます。

とりあえずまずは辞書だろう、ということで「画力」を辞書で検索すると以下の意味でした。

絵で表現する力。

小学館

大分ざっくりしてますね。ということで、人によって定義は違いますが、ここでは私の認識をもとに、以下と仮定して深掘りしてみます。

画力とは「脳内イメージを絵として出力する能力。上がれば全て思いのままに描けるわけではなく、内部に更に細分化したスキルツリーがあって、上げたスキルに応じた部分のみが上手く描けるイメージ。」です。

これはそれなりに長い期間お絵描きを続けてきた結果、私の中で落ち着いた結論なのですが、どうしてそう考えているかについて理由を3つ紹介します。

デッサンだけしても可愛い絵は描けない

まず最初の根拠として、「やった事しか上手くならない」事を挙げます。実例としては、デッサンだけ頑張っていたり、模写だけ頑張っている場合、私の観測圏内では例外なく、それだけ上手い人が出来上がっています。模写だけはめちゃくちゃ上手いのに、オリジナルの絵は描けない、みたいな人です。(模写だけ上手くてオリジナル絵が描けないのは悪いことではありませんが、目的が「模写が上手くなること」でないのなら手段として間違っているという話です。)

勿論、リアルとイラストの骨格が違うと言っても、頭が腕の位置についていたり、脚ではなく腕で歩くような極端な差異はありません。イラストの骨格はリアルに比べて特定の部位が長かったり短かったりするだけです。なので、デッサンが全くの無駄というわけではありません。むしろ、正確な人体を理解することはデフォルメ絵を描くにあたって非常に有効な練習手段の1つだと思っています。

しかし、デッサンで得られるのは人体構造の知識と、対象物をじっくり観察する力ですので、いくら人体デッサンをしたところで、流行りの絵柄が習得出来ない事は明白です。

同様によく模写だけを頑張りまくる人もいます。

しかし、模写で得られるのは、真似した対象の絵柄や、表現技法、観察力、なので、人体構造に対する理解はさほど深まりません。なぜこの表現をするのか? というデフォルメ元になったリアルの知識が不足するわけです。

これをゲームに例えるなら、物凄く細分化されたスキルツリーが存在するオープンワールドゲームといった感じでしょう。何か行動をすると、その行動に関連したスキルの経験値のみが増えるイメージです。そういった複数のスキルの総和を指して「画力」と呼んでいるのではないでしょうか?

ここで言う細分化されたスキルツリーとは「絵を描くスキル」みたいなザックリしたものではなく、もっと細かいものです。

例えば観察なら、「ペンを指標に対象物の長さを正確に測るスキル」だったり、「中間点の位置を目測で何等分した位置か判断するスキル」だったり、「対象の色と周囲の色を同時に観察することで、色ごとの関係によって発生している効果を把握するスキル」だったりと、かなり細かく多様なスキルに分かれているイメージです。

知識量や認識の差で、見える情報量が変化する

突然ですが、虹は何色でしょうか?

これを読んでいる方は絵を描く方が多いでしょうから、「7色」ではなく「たくさん」などと答えられたかもしれません。ですが、日本では一般的に「虹は7色」と認識されていますよね。しかし実態としてはもっと沢山の色で構成されているわけで、なぜ「7色」という共通認識が出来上がっているのでしょうか?

実を言うと世界的には虹は必ずしも7色ではありません。文化圏によって色数の認識が違います。

上記の虹の話同様に、世界は広いので文化圏によって色を表現する言葉の数にも差があります。複数の文化圏の人間に対して、複数の色を見せて判別させる実験をしたところ、文化圏によって答える色の数が変わるのです。これは知識量が認識可能な幅を変える興味深い例だと思います。

実は同様の事象を私自身経験していまして、昔に比べて色を認識できる幅が広がったと感じています。神絵師のイラストなんかだと、よくすごーーーく薄いカゲが存在したり、さり気なくグラデーションがかかっていたりするのですが、そう言った微妙な色の変化を以前は認識できませんでした。違いに気づかず、1色だと認識していたのです。

同様の事は色以外の事についても言えて、線の引き方や強弱だったり、構図だったりでも、知識があれば「なぜその表現をしたのか?」という作者の意図まで推測できたりします。

知識量が違うと文字通り“見える世界が変わる”のです。

※余談ですが、日本は世界的に見ても色彩が豊かな文化圏です。卵が先か、鶏が先かは分かりませんが、事実として日本人は欧米人と比べて彩度や色相の変化に敏感な目の作りになっています。一方で、明度の差は欧米人の方が敏感で、日本人は明暗差の違いを認識しづらい目の作りになっています。身近な例として、海外の映画を見たときに暗いシーンがよく見えない、という経験をしたことのある方は多いのではないでしょうか?

一度描いた構図は上手く描ける

これも絵描きあるあるなので、皆さん実体験があると思うのですが、過去に描いたことのあるポーズや、構図は上手く描けます。これはそのポーズや構図を描く際に必要な知識やスキルが以前より増えたり上がったりしたからだと考えています。

例えば立ち絵を描くなら、身体のパーツ比率の知識、関節の可動範囲の知識、重心の理解や、魅力的なポージングを作る法則、カメラの画角の知識、などなど色々な知識が必要になってきます。

これら複数のスキルや知識には(目に見えないけれど)経験値やレベルのようなものがあって、以前描いた経験や、何かの練習をした経験、本などから得た知識などが元となって日々レベルアップしています。

なので、同じ構図、同じポーズなどを再度描くと以前よりも上手く描けるのでしょう。

しかし、例えば椅子に座っている絵だけを描きまくっていたAさんが、ある日突然思い立って「そうだ、人が立っている絵を描こう」と思ってもいきなり上手くは描けません。もちろん人体構造に対する知識などがあれば、パーツ比率から逆算して立っている人の絵を(ある程度)描く事もできるでしょうが、これはいわゆる「応用」なので、ここで言う話とは少しベクトルが違います。

結局のところ、自分が知っている物しか描けないのが事実です。

結論

改めて最初の定義を振り返ってみましょう。画力とは「脳内イメージを絵として出力する能力。上がれば全て思いのままに描けるわけではなく、内部に更に細分化したスキルツリーがあって、上げたスキルに応じた部分のみが上手く描けるイメージ。」です。

世の中を見ていると、「画力」というレベルを上げれば魔法のように何でも描けるようになる、という風潮が見えるのですが、それって結局のところ観測者から見ると「何でも描ける」ように見えるだけで、実際はそれまでに積み重ねてきたスキルや知識が裏側に大量にあったり、それを描くために資料を用意するなどして都度インプットしている、だけのはずです。(少なくとも私が今まで見てきためちゃくちゃ絵の上手い人達はみんなそうでした)

結局何が言いたいかというと、(冗談で言うのは良いとして)「神絵師の腕が食べたいー」(※絵描きの定番ジョーク。神絵師の腕を食べると画力が上がる、という都市伝説)なんてtwitterで呟いてないで、今持ってるスキルと知識をフル活用してちゃっちゃと絵を描けって話です。はい、全力投球ブーメランです。

自分の実力を超える絵を描かない限り、自分の実力は伸びないです。

10年間(ほんとはまだ9年と2か月ですが)お絵描きをしてきて辿り着いた結論がこれです。もっと早く気づけよ、という感じですが、やっぱり手癖で描いたり、描きなれた構図、描きなれた絵柄、描きなれた手順……で描いても経験値量が少ないなぁ、と感じています。

描きたい物を描けるようになりたいなら、自分が描きたい物を集中的に描きましょう! 可愛い絵が描きたいなら、そのために必要な努力や知識、経験を積みましょう。やっぱりそれが一番です。

以上、最近お絵描き熱が上がっている金髪碧眼美少女エルフ(自称)の子猫2000がお送りしました!

お絵描き系の記事は他にもあるので、もしよければそっちも見てみてくださいな。

ではでは~