描き込みすぎは逆効果? イラスト制作における”引き算の美学”について考える

こんにちは、原神でニィロウちゃん実装が待ちきれない子猫2000です。以前から見てくれている方は「最近お絵描きしてなくね?」と思うかもしれませんが、少し前から、絵の方は古江みみ名義で活動しています。最近は週1くらいのペースで原神のイラストを描いているので、良ければフォローしてやってください。

さて、少し前から意識的に絵柄を研究中なのですが、それにあたって感じている事をつらつらと書いてみようかと思います。お題はずばり「引き算の美学」です。

今まではひたすら足し算をしてきたけれど……

私の最近は絵柄研究(どんな絵が評価されやすいのか)と、いかに効率よく描くかを念頭に置いて色々と試行錯誤中なのですが、少し前までは絵柄などは特に考えずにひたすら描いている感じでした。

もともと、私は絵を描かないタイプのオタクだったので、大人になってから絵を描き始めた分、スタートラインが他の人より遅れている意識が強くありました。そのため、作品を作る時も「とにかく上手に描こう」という意識が常にあり、今までやったことが無い事も色々と試してきました。

自分の絵に足りないものを探しては付け足し、また足りないものを探しては付け足し……と、やってきたわけです。

パーツ毎の描き込み量も、その部分に対する熱量の違いがそのまま反映されており、目と髪はめちゃくちゃ描き込むけど、服はほどほど、背景? なにそれ美味しいの? みたいな感じでした。

自分に足りないものを貪欲に取り入れていくスタイルのおかげで上達してきたわけですし、それはそれで良い事だったと思うのですが、「人から評価される絵とは何ぞや?」を考え始めた最近になって、意識改革が必要だと感じ始めました。それは他人の絵を沢山見比べていて、あることに気づいたからです。

「――あれ? 絵の評価って必ずしも技術的に上手な事と比例しないぞ?」

と。

これまではひたすら「絵がもっと上手くなれば、自然と評価も上がるだろう」と潜在意識で思い込んで描いていましたが、周りを見てみると必ずしもそうではない事に気づいたのです。

前提となるのは大きな違和感を感じさせないこと

そこで評価が高い絵の共通項を探し、考えました。

結論として、「絵の評価を決めるのは純粋な技術力ではなく、その技術を使って何を表現するか」にあることに気づきました。

実を言うと以前から薄々感じてはいたのですが、私は長い間「上手くなれば評価も比例して上がる」と強く思い込んでいたので、無意識にその事実から目を背けていたのかもしれません。

「では絵の技術力はどの程度必要なのか?」という部分が気になると思うのですが、現時点での私の結論としては「絵を見た人が大きな違和感を感じないレベルの技術力が必要」だと考えています。

絵を見た人が違和感を感じるとは、人間を描いたのに手足が明らかに長すぎたり短すぎたり、顔が福笑い状態になっていたり、のような事です。

そして、ややこしいことにこれは絵柄によって、求められる技術力が変化します

こちらについて私の現時点の結論としては「頭身が上がるほど小さな違和感の影響が大きくなる」と考えています。例えば2頭身では気にならなかった些細な違和感も、6頭身にすると絵の印象を大きく左右する、という話です。ドラ○もんの手に指が無くても違和感を感じませんが、6頭身の普通のイラストで手だけ丸になっていたら違和感MAXで手ばかりが気になってしまいますよね? そういう話です。

そもそもイラストでよく描かれる人体は、リアルの人体とは顔や体の比率が異なっていますが、それでもきちんと独自の法則性のようなものが存在しています。そして、それを逸脱すると、違和感として見る人の印象に強く影響を与えます。

これは恐らく不気味の谷現象に繋がるからだろうと感じています。

不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもの

wikipediaより

ですので、絵柄にもよりますが、頭身が高ければ高いほど求められる絵の技術力は上昇し、「何を表現するか」のスタートラインに立つのが難しくなります

逆に言えば、見た人がぱっと見で強く違和感を感じないレベルの技術力があれば、その先は「何を表現するか」や「どう表現するか」という、人間の感性に関わる芸術的な活動になってくると言えます。一言で言うならば「あなたがその絵を通して表現したかったのは何ですか?」が問われるという事です。

デザインや文章でも伝えたいメッセージは少なくするのが鉄則

ここまで絵の評価は加点より減点の方が強烈な影響を与えるので、まずは大きな違和感を感じさせないレベルの技術力を手に入れよう。そして、そこから先は「何をどう表現するか」が重要になってくる、という話を書いてきました。

さて、ここからが本題です。見る人に大きな違和感を感じさせないレベルの技術力は既にある前提での話です。

皆さんは神絵師の絵をじっくり見た事はあるでしょうか?

私は自分でも絵を描くので、「参考になる部分がないか」という意識で、じっくり見るのですが、世に言う「神絵師」の絵は全体としてのバランスの良さは当たり前のこと、疎密のバランスが取れています。

あまりじっくり見たことが無い人だと「え!?」と思うかもしれませんが、「神絵師の絵」でも、絵全体がめちゃくちゃ細かく描き込まれているかというと、そうでもない事が大多数です。むしろ、描き込み量を意図的にコントロールしていると感じます。

人間の視線は基本的に、全体視した後に気になる部分へ移動します。

さらに細かく言うならば「顔」や「明暗差が強いところ」や「描き込み量が多いところ」に視線が引き寄せられる特性があります。

そういった人間の特性を利用して、イラストは「読者の視線をどう誘導するか?」がかなり重要なのですが、「じゃあ全体を描き込んだら、全体を細かく見てくれるか?」というと、全く逆で「全然見てくれなくなる」ものだったりします。

絵の中の情報量が増えるとそれだけ見る人は疲れます。なので、全体の情報量が多い状態(全体を描き込みまくった絵)だと、「うわっ! なんか凄そうだけど、疲れるから見るのやーめたっ」となりかねないわけです。

なので、魅せたい部分を重点的に描き込み、それ以外は全体のバランスを崩さない程度に描き込むことが重要になってきます。

例えば、女の子の可愛さを主題にした絵を描いたはずなのに、背景の街をめちゃくちゃ描き込んでしまったら、そちらに意識が向いてしまい、読者の視線は散逸的になってしまいます。そうならないように、絵の主題は1つ(どんなに多くても3つ以内)に絞って、その主題を読者に伝えるために必要な部分だけを描き込む意識が重要になってくるわけです。

これは何もイラストに限った話ではなく、デザインや文章にも通じる話なので、「人に何かを伝える」事に関しては「伝えたい内容を絞ること」は共通の重要事項なのではないかと思います。

デジタルイラストはズーム機能があるので、描いている本人としては、ついつい細部に目が行ってしまいがちです。「ぁ、もしかして描き込みすぎかも?」と感じたら、その絵であなたが何を一番伝えたいか、を今一度見つめなおしてみてください。

これまでの作品に対する評価について

ここまで散々御託を並べてきましたが、実際のところどうなんだ? ってところを私の作品のデータからいくつか見ていきましょう。

閲覧数だけで判断すると、ジャンルや流行に左右されがちで比較データとして不適切ですので、ここでは閲覧数に対する反応の比率を元に検証していこうと思います。データ元はPixivに投稿した私の過去作品です。数値はこの記事を執筆時点で集計したものですので、ご了承ください。

まずは今回検証した私の作品を、反応率で並べ変えた結果です。

最近の私の絵を集計した結果

最近の絵からぱっと見で大きく違和感を感じない程度の絵を幾つか持ってきて集計してみました。

「ぱっと見の主題の伝わりやすさ」は私が改めてその絵を見た時に、絵の主題が伝わりやすいかどうか、を判断したものです。これだけは主観的な指標になりますが、描き終わってから時間が経ってからこの記事を書いているので、ある程度客観的に見れているのではないかと思います。

ここで注目したいのは、ここまでの仮説通り「主題の伝わりやすさと評価は比例する」と言えそうな事です。反応率が2割を超す上位の作品はどれもぱっと見で主題が伝わりやすい絵でした。

次に気になるのは描き込み量と評価の因果関係ですが、今回の集計では「キャラ描き込み」、「背景描き込み」、「エフェクト」の3点で判定しました。こちらも上図から分かる通り「全体を描き込むより主題を描き込み、その他はバランスを保つ程度に描き込む」ことが有効そうです。(この例はキャラ絵なので主題はキャラクターとなります。つまり、キャラクターを一番描き込み、背景やエフェクトはそれを補佐する形にするのが良さそう、という結果が出ています。)

仮説と結果が上手くかみ合わなかったのは「バーバラちゃん春の稲妻ライブコンサート」の絵です。これは3要素全てをガッツリ描き込んだものでしたが、反応率もそこそこの値を出しています。

同じく3要素全てをガッツリ描き込んだ「待ち合わせ4分前」が非常に低評価なのは、画力の向上だけでは説明がつかないと思います。

「バーバラちゃん春の稲妻ライブコンサート」は二次創作であることや、構図の視線誘導が上手くいった結果として、全体的に描き込んでいても比較的読者の目に留まったのではないでしょうか? 何より両者の決定的な違いはぱっと見た瞬間にどんなシチュエーションの絵なのか、「ぱっと見の主題の伝わりやすさ」がかなり違うと感じました。

結局のところ、全体をガッツリ描き込んでも主題をきちんと伝えられるなら問題ない。(ただし伝えづらくなる)という結論が言えそうです。

しかし、30時間超をかけた大作の「バーバラちゃん春の稲妻ライブコンサート」より、10時間未満で描いた「スライムで涼むノエルちゃん」の反応率がいいところを見ると、絵描き的には「うーん……やはり描き込み量(≒努力量)と評価は必ずしも比例しないなぁ」なんて思ってしまいますね(苦笑

ちなみに純粋な技術力(画力)と評価が比例するか? という問題ですが、これは予想通り「ある程度の画力があれば、そこから先はそれほど重要ではない」ようです。純粋な技術力で言えば、最近描いた絵の方が間違いなく上だと自信をもって断言できますが、反応率のデータを見ると、1位にきた「戦闘開始」は2022/06の作品で、2位にきた「原神コンサート2022」は2022/10の作品です。3位にきた「濡れ透けバーバラちゃん」は2021/06の作品です。

ここから分かるように「ある程度の画力があれば、そこから先はそれほど重要ではない」ようです。

まとめ

ここまでの話をまとめます。

絵を描く上で評価を意識するならば、「ぱっと見で読者に大きな違和感を感じさせないレベルの技術力」は必須ですが、技術力と評価自体は必ずしも比例せず、何より大事なのは「絵」というツールを使って読者に何を伝えるか、という主題と、それを上手く伝えられるか、という部分が重要そうです。

また、読者に大きな違和感を感じさせないレベルの技術力は絵柄や頭身によって変動するため、よりリアル寄りの頭身や絵柄になるほど高い技術力が必要になるようです。

ただ綺麗なだけの絵ならAIでも出力できる時代です。皆さんもひたすら技術を追い求めるだけでなく、「自分がその絵を通して何を伝えたいのか?」について考えてみるのはいかがでしょうか?

それでは、本日はこの辺で終了しようと思います。おつかれさまでした!

他にもお絵描きに関する記事を書いているので、もしこの記事が気に入った方はゆっくりしていってください。